BIOGRAPHY


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10代ロックの洗礼を受け19才コネなし単身上京。20代バンドマン巡業生活からの30代芸能プロにマネジャーで就業、自己資金で法人設立し5年&己活動開始。

桃源郷はまだ遠い。

 

1981年12月、山口県小野田市生まれ。血液型B型

“伊津美” は本名です。全国に20人いるかいないか、らしい…

 

かつての家庭環境は、父は企業戦士。母はピアノ講師、じいさんはバイク屋からの自転車屋。

長男に生まれ、わりと裕福で平和な家庭だった。 (ちなみにガキのころ、バイオリンをやっていた)

少年期に愛するモノは、ビックリマン、ミニ四駆、愛読書はコロコロコミック。わりと隠キャですな。

部活は卓球部キャプテンからの、中学はストⅡの鬼。地元大会で優勝(使用キャラ:ザンギエフ、ベガ)

新日本プロレス好き。

音楽ではじめて買ったCDは、邦楽は LINDBERG「EXTRA FLIGHT II -human aircraft -」、

洋楽は MR BIGのシングル「TAKE COVER」

 

 

中三のとき、ビジュアル系ブーム。Xのライブビデオ「破滅に向かって」に衝撃をうけ、エンタメ人生開始!

クラスメイトでピックを集めるのがキッカケで、大阪ワタナベ楽器の通販でギターを買う

(junoのボルトオンのレスポール)、文化祭にてデビュー(GLAY/BELOVED)

なぜか最寄駅前、蕎麦屋のおっちゃんが、古いハードロックを教えてくれ大量に洋楽ビデオをいただき、学ぶ。ゲイリームーア、ヤードバーズ、レッドツェッペリン、ディープパープル、クイーンetc

高校は「バンドをしに行く」と決断し入学。できるだけ不良のいるとこがロックだとステレオタイプに思ったからだ。当時、世間はハイスタなどメロコアブーム全盛期でした。

 

 

15才、母死別。父脱サラ。人生の怒りと悲しみをぶつける先としてロックを鳴らす。

同級生でバンド結成。バンド名は THE1:1(タイマン)

山口県内コンテストやYAMAHA主催のコンテストなどで入賞、

広島県や福岡県/北九州でも活動し、在学中ながら確かに良い流れにいた。

ロックばかり聞き漁り、警察の御用になり、家出をし、女の家に転がり込む、10代の衝動でした。

 

 

1999年、だが残念ながらバンドは高校卒業すぐに解散。18才で夢は砕ける。

はじめての彼女と数年の交際で別れ、すべてを捧げたバンドもなくなり、

失意の中、更にアルバイトしていた工事現場で大規模な爆発事故に遭遇。。

一命はとりとめたものの、悲しみと絶望に暮れ、、兵庫県は姫路市に現実逃避、移住。

毎晩、暴走族が走る姫路駅で弾き語りをするなどし、生活。

アルバイトしたライブハウス・ケントスで聞いた「六本木」という単語になぜか電撃が走り

「こうしちゃおれん」と一度、山口に戻り上京資金作り。

 

 

2000年11月。夜行バス、コネなし単身上京。矢沢永吉氏著書「成り上がり」に多大な影響を受ける

「バイトでバンドマン、風呂なしアパート、貧乏だが夢だけがある」生活。

吉祥寺のリハーサルスタジオなどでも勤務。警備員、倉庫番、債権回収や夜の仕事、etc、

たくさんのバイトをした。

メンバー募集の張り紙で数年出会いを繰り返し、いろいろなバンド/プロジェクトに出たり入ったり。

2004年、25才。ソロ活動など準備。

 

 

2005年、25才。自身の作詞作曲するロックバンド「未成年」のボーカル/ギター、ソングライター/リーダーで活動。

機材車に発電機をフル装備し、路上ライブで集客。

新宿ロフトや下北沢シェルターなどのライブハウスで

ワンマンライブや全国ツアー、イベント主催など企画し活動。

「全国のライブハウスにステッカーが一番多く貼ってあるバンドとして噂される」

2010年、2011年、サウンドプロデューサー松隈ケンタ氏プロデュースにより、2枚のCDフルアルバムと、ライブDVDを発表。

自主マネジメントで受託レーベル LOFT RECORDS、スペースシャワーミュージック と契約。

 

 

しかしその後、バンドはメンバー平均30歳を機に解散。

生まれも育ちも違うメンバーが東京で一致団結し、三十路を前に人生を賭けた。

そこになんの曇りもなかった。だが業界のことも何も分かっていなかった。

がむしゃらだったが、がむしゃらなだけでは登れない壁があった。

しかし清々しい気持ち。 「全国の魂で繋がれる方々」と出会うことができた。

いまだにやりとりをしてる仲間もいる。 この20代の経験があったからこそ、今、生きている。

それに、歌は生きている。ぜひ聞いてみてください。

 

 

バンドが解散した30才すぎ、DTMやYouTubeブーム時代にソロ活動。

J:COMさんには大変お世話になりました

“本気カヴァー”と題して、動画10万回以上の再生も。

2013年ごろ、自身の活動をすべて休止。病気にもなったりしたね

 

 

2014年、芸能プロダクションでマネジャー勤務や、業界裏方を経験。

森昌子さん個人事務所にてマネジャー勤務し、新人育成も担当

長渕剛さんツアークルーとして全国ライブツアーやカウントダウンライブの現場帯同をさせていただいております

ロックバンド界隈でも、LADIES ROOMさんや、ニューロティカさんなどの

フェスなどの現場でも帯同させていただき、貴重な経験をさせていただきました。

 

 

2015年10月、総合プランニングプロダクション IZUMI PROMOTION 立ち上げ

インディーズアーティストのメディアプロモーションやマネジメント業務を中心に展開。

2016年、業界激震「押尾学・復活トークギグ」東京&大阪イベント主催司会で開催。

300名動員、翌日Yahoo!ニューストップ掲載にて成功。

あのときは大変、賛否両論あるイベントでしたが、ファンの方々が喜んでいただけたイベントになりました

ちなみに押尾さんとはそれまで面識はありませんでしたが突然の提案を受けていただき感謝いたします

 

 

2018年10月、自己資金にて株式会社IZUMI PROMOTION に法人化。

会社業務では引き続き、広告代理店/音楽出版社として

ウチと関係してくださる方々の業務も担当しつつ、

利害を超えて魂でつながれる関係者とも連携しながら

 

 

2021年より、伊津美 敬 IZUMI TAKASHI / IZUMI professional として活動開始。

今後は、自身のアイデンティティや自己主張をクリエイティヴとして放つ、

自らをコンテンツに、”伊津美 敬 IZUMI TAKASHI”、

プロジェクト名で、”IZUMI professional” 立ち上げ。

良く言えばプレイングマネジャー的な。

プロジェクト参加メンバーは随時、募っています

「NEWS」ページをご覧いただくか「CONTACT」よりお問い合わせください

 

真の”エンタメ野郎”として表も裏も、日々精進する次第です。何卒よろしくお願い致します